アメリカの大学について少し−ueda51さんへ

友人のueda51さんに以下のエントリの中で言及していただきました。

→ 『おもてなしの経営学」(中嶋聡:著)を読む最中に考えたこと - ueda51の日記

またその後のちょっとしたやり取りの中で、実際アメリカの大学に関わっていて感じるところからの意見はないかとリクエストをもらいました。いい機会なので、トラバしてエントリにします。まとめやすくするために、上記エントリの時系列にしたがった項目別にしました。全てその項目について「アメリカの大学学部における」私なりの雑感です。箇条書きはちょっと味気ないように自分でも思いますが、こうしないと話がいろんなところに脱線しそうなので…。このエントリにあたっては上記エントリを参照しながら読んでいただけると幸いです。

【進学率/エリート意識】

進学率があまり高くない米国における大学生のエリート意識はものすごく高い。


のっけから反論めいてしまって恐縮ですが、アメリカの大学学部の進学率はむしろ日本よりかなり高い数字となっています。日本語で見つけた記事の中ではたとえば塙武郎さんという方が以下のように述べています。

→ アメリカの大学進学率 - 塙武郎の研究室便り

現在、アメリカの大学進学率は66.7%(2004年、National Center for Education Statistics)。日本の52.3%を大きく上回っている。アメリカが大学進学率50%を初めて超えたのは1965年(50.9%)であり、その後60%を超えたのは1990年(60.1%)であった。アメリカは相当早くから大学の大衆化時代に入っている。注目すべきは、アメリカでは「大学全入時代」という議論が積極的、前向きであったことである。


ここでいう「大学」とは大学「学部」のことでしょう。ここで多くはふれませんが、アメリカの高等教育/エリート選抜を考える上で、「学部」とともに「大学院」を避けては通れず、この二つははっきり区別して考えたほうがいいことを最初に明確にしておきます。

大学学部の進学率に関してはアメリカの方が高く、とりわけ州立大学の学部教育においては、州内学生に教育の機会を提供する機関であることを第一の使命としているという話も聞いたことがあります。これは日本の大学(学部)観とはだいぶ異なりますね。ただし同じ州立大学でも大学院になるとその位置づけは全く変わってきます。

エリート意識に関しては定義の仕方がややむつかしいので、これもここでは深入りしませんが、一つ言えるとしたら、少なくとも大学院を経てPhD(=Philosophiae Doctor、博士号)やMBAを取得した人は高等教育を受け、それをしっかりとこなした専門家としての強い自負心を皆おしなべて抱いています。これは良い意味でのエリート意識の一つと言うことはできると思います。

【コネ/人脈】

「コネ」と聞くと、日本ではいい印象は持たれませんが、あまりそういった印象がないアメリカでこそ、コネを求める学生がいて、そうした人間関係を重視することもあるってことを押さえているといいかもしれないですね。

コネという言葉は日本語ではやや多義的で、しばしばネガティブな意味にも用いますね。「就職の際に親戚に口を利いてもらった」とか「取引先の計らいで」などなど「血縁」や「地縁」などの概念を多く含んだ使われ方をします。ueda51さんのいう「コネと聞くと日本ではいい印象はもたれませんが」というのはこのあたりの用例を想定してのことだと思います。

孫引きにすぎないのでずれているかもしれませんが、引用された中嶋悟さんが用いた意味は、上記の要素を排した「個人と個人の関係において、その専門的知識や実務能力を評価し合ったつながり」という意味ではないかと思います。この文脈では私なりにいえば「人脈」という言葉を使います。この意味でアメリカは日本をはるかに上回る「人脈重視の社会」です。さらに日本と比較して私がアメリカの人脈の特徴をいうならそれは「浅く広い」ものです。

たとえば私の専攻分野である生物科学研究の話を引き合いに出せば、一度でも学会で、ある研究テーマを熱心に議論しあって良い印象を与えたなら、それだけで互いにかなりの信頼を勝ち取ることができます。そのまま共同研究の話に展開することなどもめずらしくありません。ただし、その後お互いの研究上の関心や事情が折り合わなくなったら、日本人からみたら相当あっさりとその件に関する関係を(多くの場合は良好に)解消します。そういったやり取りのなかで浅く広い人脈をどんどん張り巡らしていくのがアメリカの社会の特徴といえます。

技術やノウハウなどの点で、自分ができないことは彼らはすぐにできる人を見つけ出して協力します。また優秀な人ほど「自分一人ではできることなどたかがしれている」という言葉をよく口にします。この点は私はアメリカ人が最も強みをもつ点だと思っています。どこかで「MBAの課程で学ぶ目的の五十パーセントは人脈作りである」と聞いたことがありますが、至極納得の言葉です。それもこういった風土あってのことでもあります。

またueda51さんが引いたホームパーティーの話も、これは確かにアメリカの人間関係構築において日常的に行われるものですが、アメリカ人の上司の多くはむしろ積極的に人を呼び、率先して人脈作りに励むのが多く見られる光景です。

【大学での専攻選び】

もしかしたらこの点は、入試の段階で専攻を決定する日本の多くの大学生にとっては理解のむつかしいところかもしれません。大学入学の段階で、学生がキャリアパスにおいてどの程度の目的意識を持ちえているかに関しては日米でおそらく大差はなく、五十歩百歩なのではないかと思います。ただ確かにその後が異なるのです。

まずueda51さんは学部時代に「哲学→経済学→数学、情報→経営学」という学問的な変遷をたどったとのことですが、実はこういった話はアメリカの学部生にもさほど珍しい話ではありません。余談ながらなかなかにICU的ですね。実際、とても理にかなった経路だと思います。

さて話を戻すと、現に私がこちらで縁あって仲良くなった学部四年生のR君はもともと親のすすめもあってMedical School(医科大学院)への進学を目指してこちらVanderbiltの学部に進学しました。しかし一年生のときにいくつか取った自然科学系の科目が肌に合わず、彼はその後、社会科学へと大きく専攻を変えました。現在はフランス史を専攻しており、かなり優秀なようで来年からは奨学金を受けて大学院へ進学するそうです。彼のような進路にも対応できるカリキュラムの柔軟性があるのもこの大学を含めた多くのアメリカの学部教育の特徴です。

一つ前のエントリで、アメリカでは自分探しを宿命付けられていると述べましたが、それは学部教育においてもいえます。常に選択肢にさらされ続け、その上で専攻を絞り込んでいく。それは入学の時点のみに限らず、在学期間中ずっと熟考に熟考を重ね、もちろん人生設計の一部として専門分野を選んでいきます。おそらくは中嶋悟さんもこのあたりを想定しながら述べているのではないかと思います。

【ビジネスのことがわかる技術者をどう育てるか】

最後の項目です。ここでは大学を離れて少々大きな話をしてしまいますが、西欧文化圏では「いろいろなことを知っている」ことはそれだけで美徳であるという風土があります。また知的職業に関わる者としての条件でもあります。これは近代教養という概念を生んだ文化であり、それが今もかなりの程度で息づいているからでもあるでしょう。「ビジネスのことがわかる技術者」または「生物科学に精通した経営者」といった存在に価値を見出し、また育てていくためには、この教養の価値を認める土壌なしにはなかなかむつかしいと私は感じています。

なぜか。「○と△を両方極めたスペシャリスト」と一口に言っても、実際にはどちらかに得意分野は偏るものでしょうし、その得意分野に関しても「その道〜十年」といった人には経験という点で劣る点がないとは言えない場合が多い。日本ではそのような点がまず指摘されることが多いのではないかと思います。また、たとえば、日本では「器用貧乏」であったり「多芸は無芸」といった言葉にあらわされる価値観はとても大きな存在感をもっています。それよりは何かたった一つに精通したスペシャリストとなって大成することがよしとされる。そして、そのような気風が技術立国日本の人材を育ててきたという側面は見逃せないでしょう。

しかし、専門のタコツボ化の問題は日本でも指摘されて久しく、今後、人や物、情報がますます忙しく動き回る時代においてはある程度の路線変更は急務であると思います。けれどそれはそう簡単なことではなく、日本のこれまでの知的風土そのものをかなり抜本的に変える必要があるのではないかと思っています。私もビジネスのことがわかる技術者が大いに育ってほしいと思っています。しかしそのためには、語弊をおそれずに言えば「部外者が口を出す」ことに価値を見出していけるかどうかにかかっている、そんな風にも言えるように私は思います。「その道〜十年」の人から見たらどんな人でも素人/部外者です。しかし語ることをやめてしまってはその先がない。

ここで小飼弾さんのこんな言葉を紹介したいと思います。エントリ自体はかなり異なる対象を論じたものですが、深いところで通じるものがあると思います。

 → 我々全員の知的生産性を10桁上げる方法 − 404 Blog Not Found

「原典嫁」というのは過剰な倹約の勧めなのだ。

徹底的に考え抜くのは楽しいことだし、衝突と再発明を繰り返していれば、人はいやでもそうなっていく。しかし考え抜くことそのものは、知的な行為であっても知的生産ではないのである。誰にも語られぬ熟考は、はっきり言ってしまえばどこにも出荷されない製品を、ただ黙々と作り続ける工場にも等しい。

まずは語り抜けるようになろう。


さらに言えば語る人の話に「耳を傾ける」ことに大きな価値を見出していこうと私は言いたいのです。そのような中から、二束のわらじを恐れずに履こうとする者があらわれる。そしてそこから複数分野のスペシャリストや横断的な職業人を生み育てることができるのではないかというのが私の考えです。

だからueda51さんのキャリアの話を聞いたときは新鮮な驚きだったし、応援したいとも強く思っています。というより、ある意味似たようなキャリアを志向する同士といったほうがいいかも(笑)。



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  • 自分探しとアメリカと

    SNSで大学院生の友人の日記を読んでいたら、「同世代の友人と話してみると想像以上にそれぞれ進路について悩んでいた」、といった話が書かれていました。そこについていたコメントにこんなものがあって印象的でした。
    悩むのはいいこと。俺も一昨年の今頃は相当悩んでた。でも悩んだ分だけ決めた進路に自信が持てている(大意)

    実感がこもっていて実に良い。

    さて、当地アメリカに住んでいて、社会のあり方として個人的にうらやましいと思うことの一つが、進路の選択肢の多様さと、それをどんどん増やしていこうという雰囲気です。

    たとえば、私の専門である生物科学系を例にとると、こちらでは生物系を専攻した学部生の優秀な人たちは軒並みMedical School(医科大学院)に進学します。日米の法曹養成における法科大学院のように、医学教育が大学院から提供されるからです。また、生物系の優秀な人間の大半が医学を志すのは、世界中あらゆる国で同じことであり、アメリカでも例外ではないという話でもあります。また、アメリカで医者になると、平均年収が少なくとも二千万円ほどと言われ、高ステータスかつ高収入の職業でもあります。やりがいもあるでしょう。学生をひきつけるのは当然の話。

    ところがですね。ここアメリカにもある程度の割合で必ずいるんですよ、「研究」なんてものを志す人間が。「私はMed Schoolに行かずに研究をやりにきたんだ」という自負がものすごく強い。もちろんそこに至る過程で散々悩んだのだろうから、その上で決めた進路へのモチベーションが異様に高いのです。そしてアメリカにおける生物系博士課程の大学院というのはそういう人間の巣窟なのです。(*)

    エキセントリックな人もたくさん見てきました。様々な意味をこめて、「この人は研究者になりたくてなったのではなく、研究者にしかなれなかった」というタイプの人。発生研究で有名なUCバークレーのMichael Levine教授なんて典型例でしょうね。

    日本のように十八歳で決めるか、二十一、二歳で決めるかの違いでしかない、とも言えるけれど、二十歳前後のこの数年の年齢差はとても大きい。また、少なからず医学、生物学の世界の現場に出てから、改めて進路を問われるわけだから、選択の重みもまったく変わってきます。

    こういう選択肢にさらされて選んでいくわけだから、私の好みの言葉で言うと、自分の立ち居地への「覚悟」や「矜持」といったものを醸成しやすい環境であるように見えるのです。また、そこで何かを決めたからといって、その後の人生にすっかり見通しがつくわけでもない。皆、多かれ少なかれ変わり続ける。好みはあるでしょうが、ここはそういった文化の国です。

    ところで、小飼弾さんが速水健朗『自分探しが止まらない』という本の書評でこんな言葉を引用していました。
    自分探しは日本の若者だけではなく、先進国の若者たちを覆う病なのだ。

    そうなんですよね。私なんて特に自分探しの権化のような二十代を送ってきましたし。

    この意味ではアメリカのあり方はとりわけ「自分探し君大量生産装置」でもあります。アメリカに生きているのがつらそうなアメリカ人にも何人かあって来ました。そりゃ一面ではつらいのは当然ですよ。「お前はどう生きていきたいんだ。何かを選んだとして、それは本当に望むことなのか。」ということをいちいち問われ続けるんだから。

    ただ私としては、自分探し人間を生み出すのはもはや現代の宿命と見据えて、その上でどのような社会を作っていくかを考えたい。十代、二十代の間くらいは散々悩ませればいい。その上で強靭な人生観を養う。ここに活路を見出すのは一手なのではないか。アメリカのあり方は、あくまでその一例として、なかなか高水準のものを作りつつあるように思います。

    -----------------

    (*)

    以上の話は分かりやすくするために、単純化しすぎているきらいもあります。研究か臨床かという問いがすでにこちらではやや不毛なものです。

    生物系博士号(PhD)を取得した後、医学博士号(MD)を取りに新たに学び直すなんて珍しくありませんし、その逆も然り。いや、むしろどちらも追求したいという優秀かつ欲張りな学生もとても多いので、私の現在の大学院にもMD・PhDコースという八ヵ年の大学院課程も作られています。

     → 参考:the Medical Scientist Training Program (MSTP) at the Vanderbilt University School of Medicineのウェブサイト
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  • Patienceのある人

    「Patienceのある人」―アメリカで出会ったお気に入りの褒め言葉。辛抱強く人の話を聞いてその上で助言したり、忙しいときでも惜しみなく自分の時間を人のために割いたりする人のことを褒めて言うもの。

    訳したら「我慢強い、辛抱強い人」と言えるかもしれない。でも"He/She is patient to me."などのように、人との関係について使う用法はおそらく日本語ではそれほど一般的でなく、はじめてこのフレーズを知ったときは新鮮に聞こえたものだった。

    本日、一つ目のローテーションが終了。研究室のメンバーに軽く挨拶をして離れた。わずか三ヶ月弱ではあったけれど、なんだか少々の寂しさがこみあげてしまってそそくさと出ていってしまった。

    とりわけ、今回の小プロジェクトを直接みてくれたNTさんのpatienceには本当にお世話になりました。途中から授業の忙しさが加速度を増して行き、さっぱり実験ができなかったが、そんな私にNTさんはよく声をかけてくれた。自分のトランスジェニック系統を惜しげもなく与えてくれ、ゼブラフィッシュ発生学のイロハを教えてくれた。私の日本の出身研究室の先輩という偶然、そして日本語でコミュニケーションを取れたことが、大学院開始のこのバタバタした時期にどれほど救いになったか。

    Patienceあるのはまた、ボスBAについても同じ。

    この人は本当によく人の話を聞く。コミュニケーション志向のとても高い彼の学問観には賛同するところがとても多かった。

    彼は学科内のミーティングやセミナーには必ず出席する。明らかな分野違いの人の話にもくらいついて、よく質問をする。その質問も、講演途中で内容のあいまいなところがあれば、その点を明確にすることを促すものであることが多かった。演者の論理の隙間を埋め、できる限り分かりやすい講演を聴衆としてともに作る姿勢。これはある意味とても勇気のいる質問の仕方で、下手をすれば、「そんなの聞いてりゃ分かることでしょ」との謗りを受けかねない。そして聴衆はそれを恐れてなかなか出てこない質問であるけれど、演者としては一番嬉しい。

    このローテーション期間中で一番印象に残っているのは以下の言葉。ある日の研究室内ミーティングの最初、いつものようにくだけた雰囲気の中で連絡事項を話し合っていた中、ふっとボスは表情を引き締めてこう言った。

    「昨日、××研(ゼブラフィッシュの他研究室)の○○のPhDディフェンス(博士論文公聴会)があったよね。しかしながら、この研究室から出席していたのは残念ながら、私だけだったんだ。
    実験のスケジューリングがきついことはよく分かる。けれど、講演会に参加するということもまた、ゼブラフィッシュコミュニティ、ひいてはScientific Communityに貢献する大切な機会であることをよく理解してほしい。」

    アメリカに来てから特に、他の人の研究に敬意を払うこと、興味をもつことの重要性を学んでいる。そこから生まれる大きな可能性―共同研究の推進など、もまた何度か目の当たりにしてきている。ただこのボスほどそれを強調する人もそうはいない気がする。

    この研究室、本当にいい雰囲気でよかったな。私の働きぶりをボスや他のメンバーに良くアピールできたとは残念ながらあまり思えないけれど、少なくとも私のこの研究室へ抱いた印象はその一言に尽きるのでした。

    さて、次のローテーション先はJosha Gamse博士の研究室。研究内容は「脊椎動物の脳の左右非対称形成」で、材料は引き続きゼブラフィッシュ。

    ボスはおそらくまだ三十代と思しきとても若いPIで、彼の他には大学院生が四人だけのまだ小さな研究室。けれどその分、メンバーのモチベーションが異様に高い。こういう若いPIの研究室を体験してみたかったことでもあるし、ここでもいい時間を過ごせればと思う。

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  • This I believe

    英語クラスにて。今度は"Essay Speaking"という課題を与えられる。

    五百語程度のエッセイを書き、それを朗読し、オーディオシステムで録音する。それを後日授業で再生し、クラスメートと教師のコメントを仰ぐ、というもの。聴衆を前にしたプレゼンテーションとは異なり、前もって原稿を用意し、一人落ち着いた状態でのスピーチを作ってみよう、という趣向。

    形式は“This I believe”というもの。ごく簡潔に自分の思うところを述べよ、心温まるものでも笑いを誘うものである必要もない、ただ「リアル」であることが重要、なのだそうだ。

    そこで教師から、いくつかサンプルスピーチが与えられたのだけれど、何気なく聞いてみたら、どれもとてもよかった。本当によかった。いずれもNPR(National Public Radio)というサイトで試聴できるので、以下二つの例を挙げてみます。ぜひ聞いてみてください。英語リスニングが好きな人は、できるだけスクリプトに頼らずに、その語り口を聞いてみてください。

    1."The Tense Middle"
     ―ノーベル化学賞受賞者 Roald Hoffmann博士

    極端さはときに良いストーリーを生む。けれど、"Middle"であることは私を満足させる。"harm"も"benefit"もそれは一つところのものである。私は"Tense Middle"を好む。なぜなら私は化学者だからである。


    Tense Middleとは力強い言葉だと思う。「張り詰めた中間状態」とでも訳せるだろうか。

    儒教における「中庸」の概念を思い出す。それは、微温的だとか、どっちつかずだとかを指すものではない。実は本質を衝いているが故に偏っていないこと、そして緊張感に満ちた立場であること、を指すと聞いたことがある。Hoffman博士の話から、これと同じ印象を受けた。

    人、政治、分子、あらゆるものは常に変化のさなかにある。

    ユダヤ人ポーランド系移民としての出自、そして化学から教えられたこと。それをこのような言葉に昇華できるこの人は、優れた哲学者なのだと私は思う。


    2."A Duty to Family, Heritage and Country"
     ―中国系移民の高校生 Ying Ying Yu

    十四歳の中国系移民のYing Yingは「私は、私を強いる「義務」の力を信じている。」と言い切る。こんな言葉を耳にして、しかし沸き起こるこの奇妙な感動は一体何なのか。朗読の最後にコメンテーターからも示されているように、健気さと覚悟に満ちた彼女の言葉には人の心を揺り動かす不思議な魅力がある。

    また彼女は言う。
    「ここアメリカでは人は夢を追わなければならないというプレッシャーがある。」

    その通り。義務に駆り立てられる社会が息苦しそうに見えるというならば、夢を追うことが正しいとされる社会もまた、実は同じくらい息苦しいのではないかな。また逆にどちらもが、才能やモチベーションを掬い得るものでもあるとも言えるような気がする。

    私自身は、好きなことをして生きて行きたいという思いが少なからずある。だからこんなところまで来てしまったし、このYing Yingのような喜びを感じることは私にはおそらくは難しい。けれども、彼女の言葉にはそんな私にも届くものがあったのでした。
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  • 英語クラスにて

    来学期にTeaching Assistant(学部生の教育補助)を務めるにあたり、それに先立って現在週二で英語クラスを受けている。

    その中で「五分間プレゼンテーション」という課題を与えられる。テーマは自由とのことで、「アポトーシス」について話した。アポトーシスが重要な役割を果たすのは、例えば私の研究領域である「発生」においてであり、顕著な例としては「指の形成過程」や「蛙のお玉じゃくしの尾の消失」などですよ、といった話をする。

    発表は撮影され、後日その講評を受けた。改めてこと細かく見て行くと、文法・発音の間違いを連発していたことを知る…。例えば、“event”と“occur”はどちらも第二音節にアクセントがあったことに今更ながら気がついた。ヴェントではなくィヴェント、カーではなくォー、なのでした。大学時代に英語ディベート部に入っていた私はoccurは本当によく使う動詞だったのだけれど、その頃から数えて何年も間違えていた…。

    斎藤兆史『英語達人列伝』にて、ネイティブスピーカーに褒められているうちはその語学力は大したことはないと思った方がいいと述べられているが、全くその通り。研究室の人に発音を褒められることも増えてきたかなと思っていたのだけれど、まだまだ。

    また、もっと「アイコンタクト」をしなさいと指摘を受ける。質疑応答時にはよく人の目を見て話していたが、メインの発表中は伏し目がちだとのこと。これはいまだに私にとって難しい。と思ったら、アメリカ人にとってもこれはそう容易いことではない、とのフォローももらう。

    それともう一つ。何気なく蛙のお玉じゃくしのことを“larva”と言ったら、先生はピンとこなかったようで、「科学用語ではそう言うの?」と聞かれた。カエルやホヤの「幼生」のことを、生物学用語として“tadpole larva”(お玉じゃくし幼生)または単に“larva”と呼ぶ。けれど、larvaというと、ネイティブの人が一般的に思い浮かべるのは蝶や蛾の「芋虫」みたいなものらしい。語感としては日本語の「幼虫」に近いのかもしれない。やはりここは“tadpole”と言うべきだったみたい。

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  • 最新RNA研究の一例; mirtron―miRNA新規サブクラス

    大学院での通年講義Bioregulation第二部「遺伝子発現」、「転写」「クロマチン構造」と来て、その次の内容は「RNAプロセシング」。

    その授業の中で、以下、microRNAに関する論文を読む。

    Cell. 2007 Jul 13;130(1):89-100.
    The mirtron pathway generates microRNA-class regulatory RNAs in Drosophila.
    Okamura K, Hagen JW, Duan H, Tyler DM, Lai EC.



    参考:Research Highlight "MicroRNA: Introducing the mirtron"
    Nature Reviews Molecular Cell Biology 2007

    とても面白く読んだし、microRNAについて理解を深めるいい機会になりました。少し広く視点を取ってまとめてみます。

    RNA研究は現代の分子生物学において、最も注目を集めている分野の一つである。DNAにコードされた蛋白質の設計情報の写しとしてのmRNAは広く知られた存在だが、RNAが果たす役割は従来考えられてきたよりもはるかに多様であることが分かってきた。最近の研究から、遺伝情報の制御メカニズムにおいて、RNAそれ自身がとてもダイナミックに関わっているらしい。

    イギリスの週刊誌The Economistが今年の六月十六日号にて、RNA研究の巻頭特集を組んだことは記憶に新しい。
    (『生命の理解、そして「理解」の理解。』のこちらのエントリに紹介文あり。)

    さて、近年明らかにされてきたRNA構造の一つの姿に、microRNAがある。自身は蛋白質を翻訳しない、いわゆる非蛋白質コード型RNAで、長さ20から25塩基ほどのとても短い一本鎖の構造をとる。主には、他の遺伝子のmRNAに働きかけ、その蛋白質への翻訳を阻害する役割を果たし、これにより、遺伝子発現の適切なタイミングや量を調節している。

    標準的なmicroRNAの産生経路を確認すると以下の通り。DNAから転写されたprimary-microRNAはヘアピン構造とそれに連なるstem(“幹部分”)を持つが、そのstemをDroshaという酵素が分断する。stemから切り離された構造をpre-miRNAと呼ぶが、これを次にExportin-5と呼ばれる蛋白質が核外へ輸送。核外にてpre-miRNAは次にDicer-1蛋白質によって、今度はヘアピン構造を分断され、さらに一本鎖となる。最終産物のmicroRNAはArgonauteなどを含む蛋白質複合体の中に組み込まれ、そのRNA―蛋白質複合体が翻訳調節などの機能を示す。こちらのウェブページの模式図が分かりやすい。

    ようやく本題。ここ最近見つかってきたmirtron(miRNAとintoronからの造語)はmRNAをコードする遺伝子の、そのイントロン中にコードされているユニークな配列である。RNAスプライシングの作用により、エクソンの連なりと、投げ縄状の(lariat)イントロン配列へと分離されるが、mirtronにおいてはこのイントロン配列が前駆体となる。

    標準的なmicroRNAと異なるのは、Droshaによる修飾を受けず、代わりにLdbr(Lariat-debranching enzyme)という酵素により、イントロンの投げ縄構造が解かれ(debranching)、そしてpre-miRNA様のヘアピン構造をとる。その後はほぼ標準的なmicroRNA産生経路と同様で、Exportin-5による核外輸送、また産物がArgonauteと相互作用することが示されている。

    言わば、"Drosha-independent pathway"による新たなmicroRNAであるが、この産生経路を詳細に調べたのが今回の論文の報告。一つ標準的なmicroRNAと異なるのは、大半のmirtronは配列の保存性が比較的低く、進化的には新しい存在だろうとのこと。また、Figure 6の実験から、少なくとも今回調べられた三つのmirtronに関しては、標的を抑制するにあたって、microRNAと同様の"seed match"が必要。つまりは5’側の8塩基の完全な相補を要求するという結果が得られている。

    microRNAは現在出版されている、どの分子生物学の教科書にもまだ記述がさほど見られないほど、実に新しい概念である。それにも関わらず、それはもやは研究対象の流行りという存在には留まらない。むしろ、いかなる生体制御の解析に取り組むにあたっても、まずはそこで働いているmicroRNAの存在を探索することが必須になってきているように見える。

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  • Take home exam第二弾

    本日月曜の朝に先週とほぼ同様の形式で"Take home exam"を提出。

    今回の内容は、講義Bioregulationの第二部「遺伝子発現」中の「RNAプロセシング」と「翻訳」について。先週同様に今はもうヘロヘロ。

    そして今日から、第三部「細胞生物学」に入った。なんというか、大学院なのだから当然と思われるかもしれないけれど、冗談みたいなスピードで授業は進んでいる…。この後、「発生」「微生物学」「内分泌学」「神経生理学」などが続き、一年間でかなりの範囲をカバーする。

    この講義を受けている大学院生は今年は百人弱だが、将来的にどのような専攻で博士研究を行うにしても、以上の内容は必修。良くも悪くもアメリカ的な幅の広さを身につけることが求められている。まぁ、私にとっては将来的にも望むところ。

    さて、先週の金曜には、学内の生物・医学系研究者の小さな飲み会へ。そこで、珍しく日本人の大学院生と知り合うことができた。日本でMDを取得した後、こちらにPhDを取りに来たとのこと。いろんな経歴の人がいるもので、話を聞くのが楽しい。

    実はこの方、私とかなり近い教育プログラムに属していることが分かり、上述の授業の単位も取っていた。「一、二年目は死ぬかと思うほど忙しかった(笑)。」なんて言ってくれて、私もずいぶん気が楽になった。

    でもその年は八十人くらい居た中で、今まで十人前後が大学院を去ったとのこと。最近、来年の今頃の私は実家住まいで就職活動してるんじゃないだろうかと、冗談抜きで思っていたところ。何とかまずは一年目を乗り切ろうとまた気持ちを新たにする。

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  • 研究室内ミーティング

    毎週火曜は研究室内ミーティング。これがやや変わった形式なので、ここにもメモ。

    発表者はまず自分の最新データを簡単に発表し、議論を促す。その後に続けて、自分の研究に直接関わる論文を一つ選び、その内容を紹介して皆で読み込んでいく。選ぶ論文については、発表者の研究の助けになることに主眼があるので、特に最新のものではないこともあり、またときにマニアックなものも選ばれる。最後に、発表者は自分のデータと選んだ論文から得られた知見を元に今後の展望を話し、そこでまたアドバイスを仰ぐ。全部で一時間。このような形式は私は初めて見たが、これは一つうまいやり方だと思った。

    第一には、もちろん発表者への勉強の機会を与えること。もう一つには、研究室の他のメンバーに、自分の研究の関連分野を勉強することを促すこと。関連する論文を読んでもらうことは、その最短経路とも言える。

    私にも経験があるが、研究室の規模が大きくなってくると、他のメンバー一人一人が何を研究しているのか、全てをフォローするのは案外難しい。聴衆もある程度は発表者の研究の背景を把握していないと、良いサジェスチョンもなかなか生まれない。いきおい、研究経験の豊富なボスかポスドクしか発言しないという光景はアメリカでもよく見てきた。となると、わざわざ研究室の皆でミーティングを開いている意義も半減してしまう。この研究室が取っている方法は議論の生産性を高める一案かと思いました。

    ただ、二つ付け加えると、一つには私の研究室には大学院生が多いこと。これがポスドク主体のところでは話は変わってくるだろう。

    二つめには、これとは別に毎週金曜に、学内の発生生物学コミュニティにて、論文セミナーがあること。発生学の最新論文をセミナーで読む機会はこちらにあるからこそ、研究室内でのミーティングの形式もやや変則的なものに出来ている、とも言えるかもしれない。

    それにしてもこの研究室には参加すべきミーティングが本当に多い。ほぼ毎日何かがある。

    さて、今週火曜のミーティングではゼブラフィッシュの後脳のパターニングの研究をしているDが発表。

    選ばれた論文は以下のもの。

    Development. 2003 Nov;130(21):5191-201.
    Hox3 genes coordinate mechanisms of genetic suppression and activation in the generation of branchial and somatic motoneurons.
    Gaufo GO, Thomas KR, Capecchi MR


    Hoxa3とHoxb3のダブルノックアウトマウスにおいて、後脳形成に関わる運動神経の一部が失われることを示したもの。

    二〇〇七年ノーベル賞受賞者のMario Capecchi博士の研究室から。こういう研究もしていたんですね。形態、Hox、進化の議論は好みなので、興味深く発表を聞きました。

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  • Take home exam

    先週末は現在取っているBioregulationのテストにかかりきりだった。なぜ週末かというと、"Take home exam"といって、先週の水曜日に問題が発表され、週明けの月曜朝にオフィスに提出という形式だったから。資料は何を使ってもよく、締切までが極端に短いレポート課題のようなもの。

    内容は第二部「遺伝子発現」の中の、そのまた「転写」と「クロマチン構造」について。

    この一連の授業は一つの内容を終えたらすぐにテストがあり、何度も細かくテストがある。同じような形式の"Take home exam"がこれから二つの週末をまたいで課される。私の週末は一体どこへ…(苦笑)。

    そんなこんなでなかなか思うように時間がとれていなけれど、せめて授業で精読した論文のメモくらいはしていこうかと思います。

    さて、今回終えた"Take home exam"の中にこんなものがあった。

    以下の二つの論文を読み、その結論は同旨のものと言えるか。それぞれの論文のデータを検討し、論ぜよ。


    Proc Natl Acad Sci U S A. 1995 May 9;92(10):4587-90.
    General requirement for RNA polymerase II holoenzymes in vivo.
    Thompson CM, Young RA.


    Nat Struct Mol Biol. 2006 Feb;13(2):117-20.
    Activator-specific recruitment of Mediator in vivo.
    Fan X, Chou DM, Struhl K.


    どちらもmRNAの転写に関わるRNA Polymerase II(Pol II)が働く局面における"Mediator"の存在を検証したもの。

    状況は明確で、二つ目のFanらの論文の主張は、一つ目のThompsonらの論文の内容を含むこれまで広く提唱されてきたモデルへの異議申し立てである。すなわち、いくつかのMediator蛋白質がPol IIホロ酵素に相互作用することが転写において必須である、というモデルに対して、Fanらは実験的に多くの反例を挙げ、それは"Activator-specific recruitment"にすぎない、と結論づけている。

    具体的には、Fanらの実験ではSrb4などのMediator蛋白質はGal4やHsf1などのプロモーターには関与を示したが、Msn2、Rap1といったものへの関与は特に見受けられなかった。しかもMediatorとの関与の如何に関わらず、どのプロモーターもPol IIとはよく相互作用していた。

    また、FanらのFigure 3における温度、浸透圧、銅の三つのストレス条件化においてMediatorの挙動はそれぞれにおいてやや異なるふるまいを見せるという結果を示している。このことは、Thompsonらが温度感受性の突然変異体のみの解析で結論を導き出していることへの手法的な批判になっている。おおまかに二つ挙げればこのような具合。

    ところで、二つ目の論文のラストオーサーのKevin Struhl博士は最近、以下の"Commentary"を発表し、「酵母において九十パーセントほどのPol II転写開始イベントはノイズ、または"Junk Transcription"である。」と主張している。なかなか大胆、というかレトリカルな物言いで自説を展開する人のようですね。

    Nat Struct Mol Biol. 2007 Feb;14(2):103-5.
    Transcriptional noise and the fidelity of initiation by RNA polymerase II.
    Struhl K.


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  • 講義「遺伝子発現」

    現在受けている授業「遺伝子発現」の担当者、Anthony Weil教授はとても講義がうまい。

    話している内容は、転写のメカニズム。大腸菌をモデルに原核生物の転写機構を話した後、現在は真核生物について。

    何年も同じ講義をしていることもあるだろうけれど、内容はよく準備されており、身振り手振りを交えて、とても情熱高く講義する。途中で学生に何度も質問を促して理解を確かめ、またそれを元に話を膨らます。特に多く冗談を言ったりするわけでもないし、凝ったスライドを作ってくるわけでもない。聴衆としっかり向き合うということが講演での最重要点だということを改めて気づかせてくれる。良い講義の条件なんて、アメリカでも、やっぱりそうは変わらない。実に楽しい授業。

    またこの人の英語はとても格調高く、語彙の良い勉強になる。

    - unequivocally   明白な
    - suffice      十分な
    - take you through the data          このデータの説明をすると 
    - a potential caveat for the interpretation  この解釈に関してやや注意が必要な点は

    などなど、この辺りの英語を少なくとも生物系のセミナーで私はこれまで聞いたことは無い気がする。(これまで耳に入っていなかっただけという噂もあり…)。知らなかった表現などを書き留めておいて、後で用法を調べるのが、英語で授業を受ける一つの楽しみになってきた。

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