岡崎京子の記憶

日々、刺激的で、ここにも記録を残しておきたいネタ満載の毎日なのですが、なかなかその時間が取れずにいます。残念。元気には暮らしています。

折りがあって、岡崎京子『リバーズエッジ』を手に取る。

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パラパラめくっているだけなのに、やっぱりこのコマのところで手が止まる。

「あたしたちは何かをかくすためにお喋りをしてた 

 ずっと

 何かを言わないですますために えんえんと放課後 お喋りをしていたのだ。」


初めて読んだときから印象に残っている言葉。今この場所にいて思うのは、作法は少々違えど、日本でもアメリカでも同じ。本当に大事なことなど、誰も容易に人には伝えない。

だから、二つ前のエントリの続きですが、「キャラ」を全うすることも、「ボケとツッコミ」のやり取りを主にして会話を展開させることも、それなりに大きな意味があるのでしょう。

でも、たとえば会話の中で、「お前には、こんなところがあったのか。」「○○はそういう人なんだね。」と誰かの側面の一部を取り上げるときには、少なからぬ緊張感が必要とされたはず。相手に踏み込む覚悟が必要だったはず。それが「キャラ」という言葉を使うとき、途端にその調子が軽くなる。さらには、ときに「そういうキャラだったっけ?」と、その側面を相手に求めるような態度にすらなる。この辺りに、私は違和感を抱いていたことを、ここ数日のやり取りで思った次第です。

ところで、岡崎京子で思い出すのは、(またかという感じですが)、BSマンガ夜話、岡崎京子『pink』の回における大月隆寛のこの発言。当時、女子高生の援助交際などが取沙汰されていた世相も受けてこう語った。

「だってこの人しかいないんだもん!!この時代(九十年代初期)の十代の女は、後の時代の人から見たらなんてバカだったんだろうって見えるかもしれない。でも実はこんなこと考えて、こんなこと感じながら生きてたんだって。それをこういう風に自然に描き留めてくれてるのって、岡崎京子しかいないんだもん!!」(大意)


あの情熱を伝えるに、この唐突な引用は全くそれを伝えるものではないのだけれど、この言葉には胸を打たれた。

こういう人だから、私は大月隆寛という書き手の言葉についつい耳を傾ける。岡崎京子という稀有な作家と、その真価をむしろ引き上げる優れた読み手。ただの観客の私も嬉しくなるほどだった。

長らく品切れ中のキネマ旬報社からのムック。重版してくれないかな。

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  • 英語クラスにて

    来学期にTeaching Assistant(学部生の教育補助)を務めるにあたり、それに先立って現在週二で英語クラスを受けている。

    その中で「五分間プレゼンテーション」という課題を与えられる。テーマは自由とのことで、「アポトーシス」について話した。アポトーシスが重要な役割を果たすのは、例えば私の研究領域である「発生」においてであり、顕著な例としては「指の形成過程」や「蛙のお玉じゃくしの尾の消失」などですよ、といった話をする。

    発表は撮影され、後日その講評を受けた。改めてこと細かく見て行くと、文法・発音の間違いを連発していたことを知る…。例えば、“event”と“occur”はどちらも第二音節にアクセントがあったことに今更ながら気がついた。ヴェントではなくィヴェント、カーではなくォー、なのでした。大学時代に英語ディベート部に入っていた私はoccurは本当によく使う動詞だったのだけれど、その頃から数えて何年も間違えていた…。

    斎藤兆史『英語達人列伝』にて、ネイティブスピーカーに褒められているうちはその語学力は大したことはないと思った方がいいと述べられているが、全くその通り。研究室の人に発音を褒められることも増えてきたかなと思っていたのだけれど、まだまだ。

    また、もっと「アイコンタクト」をしなさいと指摘を受ける。質疑応答時にはよく人の目を見て話していたが、メインの発表中は伏し目がちだとのこと。これはいまだに私にとって難しい。と思ったら、アメリカ人にとってもこれはそう容易いことではない、とのフォローももらう。

    それともう一つ。何気なく蛙のお玉じゃくしのことを“larva”と言ったら、先生はピンとこなかったようで、「科学用語ではそう言うの?」と聞かれた。カエルやホヤの「幼生」のことを、生物学用語として“tadpole larva”(お玉じゃくし幼生)または単に“larva”と呼ぶ。けれど、larvaというと、ネイティブの人が一般的に思い浮かべるのは蝶や蛾の「芋虫」みたいなものらしい。語感としては日本語の「幼虫」に近いのかもしれない。やはりここは“tadpole”と言うべきだったみたい。

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  • キャラクター…

    ふとしたことから、作家の岡田斗司夫さんが激ヤセしていたことを知る。ダイエットの賜物らしく、まるで別人。これを機に『いつまでもデブと思うなよ』という本を書き、最近これが売れているらしい。

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    一年で、117kg→67kgの減量。毎日食べたものを、食べたその時に記録していっただけらしい。家計簿みたいなものかな。

    何はともあれ、その変化は驚くべきもので、このネタでいろいろ検索してしまった。その中で引っかかってきた、この番組中での以下の言葉が印象的だった。

    (現代では)太っている人がものすごく損をしている。
    「太っているから あなたはこうなんだ」というキャラクターづけをされる時代になってきた。


    ああ全く同感。そしてこの言葉で思い出した。私が日本で学生をしていた数年前、よく「キャラ」という言葉が使われていて、これが私は嫌いだった…。「お前、そういうキャラだったっけ?(笑)」といった物言い。一人の人間をごくわずかな側面の色だけに塗りつぶしてしまうような平坦なものの見方に、私はどうにも馴染めなかった。

    さて、現代においては、太っていることと、もう一つ挙げるとすれば、禿げていること、がもたらす影響は本当に大きいように思う。私自身もそのような印象で人をキャラクターづけしていることは少なからずは否めないし、また数年以内に自分自身がそのようなカテゴリーに属することも十分にあり得る。

    だから、岡田斗司夫のデブ論と、また呉智英のハゲ論は本当におもしろい。さんざん笑わせてくれた後、ふっと、現代におけるその大きな意味を考えさせてくれる。

    日常的な題材に明快な文章、しかし俗論とは一線を画す思考を展開して、読者に一考を促す。そういう書き手が私の好み。ときにそのネタは誰もあえて話題にしない身も蓋も無いものも多いけれど、そこで説得力をもたせるのは実はとても難しいはず。だからこそ、その筆力がよく分かる。

    『いつまでもデブと思うなよ』を早速注文。

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    友人の日記を読んでいたら、「サンボマスターとBOOWYの『MEMORY』をカラオケで熱唱してウサ晴らししてきた。」なんてことが、少し前に話題になっていた。『MEMORY』…、なんて懐かしい。歌詞がとても切なく、BOOWYの隠れた名曲として名高い。

    また、それ以来、私もなんとなくBOOWY、そして氷室京介を聞くことが多い。中でも最近よくかけるのは『Waltz』。この曲は一年に一回くらいはいつか必ず聴きたくなる、私にとって不思議な存在。その歌声の美しさ、サビとサビにいたるメロディーの抑制の効いた盛り上がりが涙を誘う。
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  • 最新RNA研究の一例; mirtron―miRNA新規サブクラス

    大学院での通年講義Bioregulation第二部「遺伝子発現」、「転写」「クロマチン構造」と来て、その次の内容は「RNAプロセシング」。

    その授業の中で、以下、microRNAに関する論文を読む。

    Cell. 2007 Jul 13;130(1):89-100.
    The mirtron pathway generates microRNA-class regulatory RNAs in Drosophila.
    Okamura K, Hagen JW, Duan H, Tyler DM, Lai EC.



    参考:Research Highlight "MicroRNA: Introducing the mirtron"
    Nature Reviews Molecular Cell Biology 2007

    とても面白く読んだし、microRNAについて理解を深めるいい機会になりました。少し広く視点を取ってまとめてみます。

    RNA研究は現代の分子生物学において、最も注目を集めている分野の一つである。DNAにコードされた蛋白質の設計情報の写しとしてのmRNAは広く知られた存在だが、RNAが果たす役割は従来考えられてきたよりもはるかに多様であることが分かってきた。最近の研究から、遺伝情報の制御メカニズムにおいて、RNAそれ自身がとてもダイナミックに関わっているらしい。

    イギリスの週刊誌The Economistが今年の六月十六日号にて、RNA研究の巻頭特集を組んだことは記憶に新しい。
    (『生命の理解、そして「理解」の理解。』のこちらのエントリに紹介文あり。)

    さて、近年明らかにされてきたRNA構造の一つの姿に、microRNAがある。自身は蛋白質を翻訳しない、いわゆる非蛋白質コード型RNAで、長さ20から25塩基ほどのとても短い一本鎖の構造をとる。主には、他の遺伝子のmRNAに働きかけ、その蛋白質への翻訳を阻害する役割を果たし、これにより、遺伝子発現の適切なタイミングや量を調節している。

    標準的なmicroRNAの産生経路を確認すると以下の通り。DNAから転写されたprimary-microRNAはヘアピン構造とそれに連なるstem(“幹部分”)を持つが、そのstemをDroshaという酵素が分断する。stemから切り離された構造をpre-miRNAと呼ぶが、これを次にExportin-5と呼ばれる蛋白質が核外へ輸送。核外にてpre-miRNAは次にDicer-1蛋白質によって、今度はヘアピン構造を分断され、さらに一本鎖となる。最終産物のmicroRNAはArgonauteなどを含む蛋白質複合体の中に組み込まれ、そのRNA―蛋白質複合体が翻訳調節などの機能を示す。こちらのウェブページの模式図が分かりやすい。

    ようやく本題。ここ最近見つかってきたmirtron(miRNAとintoronからの造語)はmRNAをコードする遺伝子の、そのイントロン中にコードされているユニークな配列である。RNAスプライシングの作用により、エクソンの連なりと、投げ縄状の(lariat)イントロン配列へと分離されるが、mirtronにおいてはこのイントロン配列が前駆体となる。

    標準的なmicroRNAと異なるのは、Droshaによる修飾を受けず、代わりにLdbr(Lariat-debranching enzyme)という酵素により、イントロンの投げ縄構造が解かれ(debranching)、そしてpre-miRNA様のヘアピン構造をとる。その後はほぼ標準的なmicroRNA産生経路と同様で、Exportin-5による核外輸送、また産物がArgonauteと相互作用することが示されている。

    言わば、"Drosha-independent pathway"による新たなmicroRNAであるが、この産生経路を詳細に調べたのが今回の論文の報告。一つ標準的なmicroRNAと異なるのは、大半のmirtronは配列の保存性が比較的低く、進化的には新しい存在だろうとのこと。また、Figure 6の実験から、少なくとも今回調べられた三つのmirtronに関しては、標的を抑制するにあたって、microRNAと同様の"seed match"が必要。つまりは5’側の8塩基の完全な相補を要求するという結果が得られている。

    microRNAは現在出版されている、どの分子生物学の教科書にもまだ記述がさほど見られないほど、実に新しい概念である。それにも関わらず、それはもやは研究対象の流行りという存在には留まらない。むしろ、いかなる生体制御の解析に取り組むにあたっても、まずはそこで働いているmicroRNAの存在を探索することが必須になってきているように見える。

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  • Take home exam第二弾

    本日月曜の朝に先週とほぼ同様の形式で"Take home exam"を提出。

    今回の内容は、講義Bioregulationの第二部「遺伝子発現」中の「RNAプロセシング」と「翻訳」について。先週同様に今はもうヘロヘロ。

    そして今日から、第三部「細胞生物学」に入った。なんというか、大学院なのだから当然と思われるかもしれないけれど、冗談みたいなスピードで授業は進んでいる…。この後、「発生」「微生物学」「内分泌学」「神経生理学」などが続き、一年間でかなりの範囲をカバーする。

    この講義を受けている大学院生は今年は百人弱だが、将来的にどのような専攻で博士研究を行うにしても、以上の内容は必修。良くも悪くもアメリカ的な幅の広さを身につけることが求められている。まぁ、私にとっては将来的にも望むところ。

    さて、先週の金曜には、学内の生物・医学系研究者の小さな飲み会へ。そこで、珍しく日本人の大学院生と知り合うことができた。日本でMDを取得した後、こちらにPhDを取りに来たとのこと。いろんな経歴の人がいるもので、話を聞くのが楽しい。

    実はこの方、私とかなり近い教育プログラムに属していることが分かり、上述の授業の単位も取っていた。「一、二年目は死ぬかと思うほど忙しかった(笑)。」なんて言ってくれて、私もずいぶん気が楽になった。

    でもその年は八十人くらい居た中で、今まで十人前後が大学院を去ったとのこと。最近、来年の今頃の私は実家住まいで就職活動してるんじゃないだろうかと、冗談抜きで思っていたところ。何とかまずは一年目を乗り切ろうとまた気持ちを新たにする。

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  • いましろたかし『釣れんボーイ』

    思い出すところがあったので、自分が少し前に別なところで書いた書評を載せてみる。

    いましろたかし釣れんボーイについて。

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    コミックビーム誌での長期連載マンガの単行本。

    本作品の主人公は作者いましろたかし本人を髣髴とさせる、ヒマシロタケシというマンガ家である。仕事にはそれなりに打ち込み、趣味の鮎釣りに異様に入れ込む男の日々を淡々と描く。

    このマンガには、目立ったドラマがない。食傷するようなポジティブさもない。かといっていたずらな卑屈さも諦観もない。そういった部分だけで人間は日々を生きているわけではないことを読者は気付かされる。いましろたかしに描かれてみれば、そういえば私も日々の多く、こう過ごし感じていたのかもしれないと、なにやらふっと心が軽くなるようだ。

    何か心にひっかかる場面は枚挙にいとまがない。

    枯れているようにも見える妻との関係、でもたまに似顔絵を描いたら、彼女は驚くほど喜んでくれて、そのことに彼もまた嬉しくなったりする。

    バイクで車と事故を起こして、実はとても恐ろしかったのだけど、行きつけの釣具屋のオヤジ相手にそれを笑い話にしたら、ずいぶん楽になった話。

    夕暮れ、一人川面で釣り糸をたれていたら、突然淋しさにおそわれて涙ぐむ…。

    マッサージの若い女の先生が気になって、突然金髪にして気を引いてみようとするも、それ以上何をするわけでもない。

    そうして気がつくと八百ページもあるこのマンガを一気に読み終えてしまい、その後もことあるごとに読み返してしまう。

    いましろたかしの作品にはいつも何ら生産的になれない人間ばかりが登場する。それは甘えともいえるし不真面目ともいえるだろう。だからきっと反発も呼びやすい。しかし『釣れんボーイ』は彼の作品の中で、円熟味を増してきたその表現力から、一番の普遍性をもちえたものだと思う。

    苦悩ともいえぬ苦悩、煩悩ともいえぬ煩悩、それを恐ろしく軽いペンタッチで物語に置き換えていく。 いましろたかしが意味を与えた人生のもう一つの姿がここにある。

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    山形浩生さんの真似ですが、自分の書いたものを後から振り返り、一言二言、その意図や今思うことを付け足してみるのも無意味ではないかと思う。

    いましろたかしはマンガ読みには昔からかなりの注目を集めている作家だが、私は彼についての書評で、これはと思うものに出会ったことがない。なぜあのような登場人物たちがこんなにも魅力的なのか、それを言葉にするのは本当に難しい。唐沢なをきの「いましろさんのマンガはドカッとしたマンガ力が伝わってくるんですよね。」という言葉が私には今のところ一番よく感じが伝わってくる。つまり、その伝わってくる何かをほとんど誰も言い当てられてはいない気がするのだ。

    私もまた同じ。いましろたかしが描くものはこれだ、と自分の言葉で指し示すことが出来ないのならば、そこで無理はしたくなかった。代わりに、何で「ない」のかを考えてみた。そして少しでも核心に近づきたいと努めてみたのが上の文章だったのです。

    さて、いましろたかしについてもう一つ。

    私はこの人の『初期のいましろたかし』をとある友人に薦めて、酷評されたことがある。「自意識をもてあまして迷走する若者たち」の群像劇を描いたもので、八十年代バブルの背景の中、その時代への違和感をややあからさまに描いたもの。

    その友人は言った。「さっぱり好きになれない。このマンガにはコミュニケーションが無い。そして、ここに出てくる登場人物は自分と向き合おうとしない、ただの子供に見える。」真摯な彼らしく、評価しないと言いきる以上は、実に多くの言葉を費やしてその理由を書いてきてくれた。

    ああ、全部その通り。何も私は反論しなかった。でも、でも、それら全て認めた上で、私は、初期作品も含め、今も変わらずいましろたかしが好きだ。その理由は、上に書いた評で私には今のところ全てであるのだけれど。

    ところで、最近別なところでこんなことを目にした。初期作品における描写は、本人の資質に加えて、当時の編集部からの要望もあってのことだったそうだ。

    そんなことを知ってみて、上述の友人の感想を考えてみると、彼はその描写にどこか作為的なものも感じて、より反発心を煽られたのかもしれない。私自身が百回読んだって、そのような感覚を持つことや、持つ人がいることに気がつくことはなかったろう。やはり、読める友人は大切だと思った次第。

    いましろたかしが悪戦苦闘しながら、マンガという表現で置き換えようとするものを、多くの人に触れてもらいたい。初期作品の荒削りな魅力も捨てがたくはある。けれど、上記の反省も踏まえて、まず手にとってもらうとすれば『釣れんボーイ』かなと今は思うから、ここに話題にしてみたのです。

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  • 研究室内ミーティング

    毎週火曜は研究室内ミーティング。これがやや変わった形式なので、ここにもメモ。

    発表者はまず自分の最新データを簡単に発表し、議論を促す。その後に続けて、自分の研究に直接関わる論文を一つ選び、その内容を紹介して皆で読み込んでいく。選ぶ論文については、発表者の研究の助けになることに主眼があるので、特に最新のものではないこともあり、またときにマニアックなものも選ばれる。最後に、発表者は自分のデータと選んだ論文から得られた知見を元に今後の展望を話し、そこでまたアドバイスを仰ぐ。全部で一時間。このような形式は私は初めて見たが、これは一つうまいやり方だと思った。

    第一には、もちろん発表者への勉強の機会を与えること。もう一つには、研究室の他のメンバーに、自分の研究の関連分野を勉強することを促すこと。関連する論文を読んでもらうことは、その最短経路とも言える。

    私にも経験があるが、研究室の規模が大きくなってくると、他のメンバー一人一人が何を研究しているのか、全てをフォローするのは案外難しい。聴衆もある程度は発表者の研究の背景を把握していないと、良いサジェスチョンもなかなか生まれない。いきおい、研究経験の豊富なボスかポスドクしか発言しないという光景はアメリカでもよく見てきた。となると、わざわざ研究室の皆でミーティングを開いている意義も半減してしまう。この研究室が取っている方法は議論の生産性を高める一案かと思いました。

    ただ、二つ付け加えると、一つには私の研究室には大学院生が多いこと。これがポスドク主体のところでは話は変わってくるだろう。

    二つめには、これとは別に毎週金曜に、学内の発生生物学コミュニティにて、論文セミナーがあること。発生学の最新論文をセミナーで読む機会はこちらにあるからこそ、研究室内でのミーティングの形式もやや変則的なものに出来ている、とも言えるかもしれない。

    それにしてもこの研究室には参加すべきミーティングが本当に多い。ほぼ毎日何かがある。

    さて、今週火曜のミーティングではゼブラフィッシュの後脳のパターニングの研究をしているDが発表。

    選ばれた論文は以下のもの。

    Development. 2003 Nov;130(21):5191-201.
    Hox3 genes coordinate mechanisms of genetic suppression and activation in the generation of branchial and somatic motoneurons.
    Gaufo GO, Thomas KR, Capecchi MR


    Hoxa3とHoxb3のダブルノックアウトマウスにおいて、後脳形成に関わる運動神経の一部が失われることを示したもの。

    二〇〇七年ノーベル賞受賞者のMario Capecchi博士の研究室から。こういう研究もしていたんですね。形態、Hox、進化の議論は好みなので、興味深く発表を聞きました。

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  • Take home exam

    先週末は現在取っているBioregulationのテストにかかりきりだった。なぜ週末かというと、"Take home exam"といって、先週の水曜日に問題が発表され、週明けの月曜朝にオフィスに提出という形式だったから。資料は何を使ってもよく、締切までが極端に短いレポート課題のようなもの。

    内容は第二部「遺伝子発現」の中の、そのまた「転写」と「クロマチン構造」について。

    この一連の授業は一つの内容を終えたらすぐにテストがあり、何度も細かくテストがある。同じような形式の"Take home exam"がこれから二つの週末をまたいで課される。私の週末は一体どこへ…(苦笑)。

    そんなこんなでなかなか思うように時間がとれていなけれど、せめて授業で精読した論文のメモくらいはしていこうかと思います。

    さて、今回終えた"Take home exam"の中にこんなものがあった。

    以下の二つの論文を読み、その結論は同旨のものと言えるか。それぞれの論文のデータを検討し、論ぜよ。


    Proc Natl Acad Sci U S A. 1995 May 9;92(10):4587-90.
    General requirement for RNA polymerase II holoenzymes in vivo.
    Thompson CM, Young RA.


    Nat Struct Mol Biol. 2006 Feb;13(2):117-20.
    Activator-specific recruitment of Mediator in vivo.
    Fan X, Chou DM, Struhl K.


    どちらもmRNAの転写に関わるRNA Polymerase II(Pol II)が働く局面における"Mediator"の存在を検証したもの。

    状況は明確で、二つ目のFanらの論文の主張は、一つ目のThompsonらの論文の内容を含むこれまで広く提唱されてきたモデルへの異議申し立てである。すなわち、いくつかのMediator蛋白質がPol IIホロ酵素に相互作用することが転写において必須である、というモデルに対して、Fanらは実験的に多くの反例を挙げ、それは"Activator-specific recruitment"にすぎない、と結論づけている。

    具体的には、Fanらの実験ではSrb4などのMediator蛋白質はGal4やHsf1などのプロモーターには関与を示したが、Msn2、Rap1といったものへの関与は特に見受けられなかった。しかもMediatorとの関与の如何に関わらず、どのプロモーターもPol IIとはよく相互作用していた。

    また、FanらのFigure 3における温度、浸透圧、銅の三つのストレス条件化においてMediatorの挙動はそれぞれにおいてやや異なるふるまいを見せるという結果を示している。このことは、Thompsonらが温度感受性の突然変異体のみの解析で結論を導き出していることへの手法的な批判になっている。おおまかに二つ挙げればこのような具合。

    ところで、二つ目の論文のラストオーサーのKevin Struhl博士は最近、以下の"Commentary"を発表し、「酵母において九十パーセントほどのPol II転写開始イベントはノイズ、または"Junk Transcription"である。」と主張している。なかなか大胆、というかレトリカルな物言いで自説を展開する人のようですね。

    Nat Struct Mol Biol. 2007 Feb;14(2):103-5.
    Transcriptional noise and the fidelity of initiation by RNA polymerase II.
    Struhl K.


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  • 『トキワ荘の青春』

    この夏に日本で久しぶりに会った旧友と話をしていたときに、『トキワ荘の青春』(一九九六年 監督・市川準)という映画の話題になった。もうずっと前に私が彼に薦めていたもの。




    藤子不二雄の二人や石ノ森章太郎など、後に名を成す若いマンガ家たちが移り住み、戦後日本マンガの流れを作り出していった伝説のアパート、トキワ荘。そこには、他の者より少しだけ年長で、皆から深く慕われた寺田ヒロオというマンガ家がいた。若き描き手たちが次々に新たな趣向のマンガ作品を作り出していく中、寺田は悩んでいく。その時代の盛り上がりの中、寺田は「子供のためのマンガを」という自らの価値観に殉じて、孤独な創作活動を続け、最終的には筆を折る。

    この時代の躍動感と寺田の苦悩を市川準が静かに描く。主人公の寺田ヒロオを本木雅弘が好演している。生瀬勝久や古田新太など脇がかなり良い。実は阿部サダヲなんかも出ている。

    私のその友人が言うことには「最近観てみたよ。うん、まあなかなかいいなとは思ったけど、それにしても、お前は本当にああいう感じが好きだよね。」あらたまって指摘され、ちょっと苦笑してしまった。

    …ああいう感じ、とは何だろう。自分でも少し考えてみる。私はマンガでは、いましろたかしにつげ義春、松本零士の『男おいどん』、映画だったらフェデリコ・フェリーニに、最近だとペドロ・アルモドバルなんかを、その同じような理由から好んでいる。

    なんだかどれも、貧乏くさかったり、迷走する人間像やら、夢追い人の失意の末路だとかを描いたものである。いたずらに悲劇を好んでいるわけではありません。ただ、上に挙げたどれからも、そうとしか生きることができない人たちの姿。ひいては、人間が人間であることのペシミズムが静かに伝わってくる気がするのである。それと、その人間観を、えも言われぬユーモア感覚が底支えしていることも重要な共通点。

    『トキワ荘の青春』に関しては、海外に住む今となっては、再見の機会もなかなかもてず、自分の中に残るイメージだけで語っているのが残念。

    またこの映画、つげ義春や水野英子をさらりと登場させて、いろいろと印象的なシーンを作っているのだけれど、説明的な描写がほとんどないため、知らない人は素通りしてしまうだろう。それでも、この時代のマンガ界がどんな熱っぽさを持っていたか、それは万人によく伝わると思う。

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  • BSマンガ夜話 復活


    二〇〇五年三月の放送を最後に長らく休止中だったBSマンガ夜話がようやくの復活という話(岡田斗司夫ブログより)。

    「一つのマンガ作品を取り上げて、一時間、徹底的に語り合う」この番組。司会は大月隆寛(民俗学者)、レギュラー陣に、いしかわじゅん(マンガ家)、岡田斗司夫(作家)、夏目房之介(マンガ評論家)を揃え、それにゲストを交えて、取り上げたマンガ作品についてのガチンコトーク番組。

    これは、本当に嬉しい。早速、実家に録画を頼む。

    私にとってとても思い入れ深いテレビ番組で、特に岡崎京子『pink』、永島慎二『漫画家残酷物語』、西原理恵子『ぼくんち』などの回は本当に秀逸な議論だった。

    個人的には、特に大月隆寛さんの勇姿を見たい。あの人はこの番組内での名言多し。

    永島慎二『漫画家残酷物語』の回での

     「自由に生きるって何か。俺にとってその雛形だったよ、このマンガは」

    の言葉を私は忘れることはないだろう。「自由」なんて言葉が、私の中であんなに美しく響いたのは何年ぶりのことだったか。

    その発言の直後の岡田斗司夫さんの「うわぁぁあ…。」(ドン引き)がまた良かった。そう言うことで、純になりすぎがちな大月氏と場の空気を救う。あの二人は名コンビだと思う。

    ゲストは大槻ケンヂがいい。読みの分析がいちいちもっともで、私は彼がおっそろしいほど頭がいいことを知ったのはこの番組でだった。

    日本にいた頃は毎回取り上げられるマンガを買い込んで、予習して番組に臨んだものだけど、今回はどうしたものか。

    「そんな読みができるなんて!」とか「いや、その分析には納得できない」とかマンガそのものを読むことよりもそんなことを考えている方が楽しくなってくることもしばしば。いちいち、メタなところでばかり喜びを見出す人なのです、私は。


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  • 講義「遺伝子発現」

    現在受けている授業「遺伝子発現」の担当者、Anthony Weil教授はとても講義がうまい。

    話している内容は、転写のメカニズム。大腸菌をモデルに原核生物の転写機構を話した後、現在は真核生物について。

    何年も同じ講義をしていることもあるだろうけれど、内容はよく準備されており、身振り手振りを交えて、とても情熱高く講義する。途中で学生に何度も質問を促して理解を確かめ、またそれを元に話を膨らます。特に多く冗談を言ったりするわけでもないし、凝ったスライドを作ってくるわけでもない。聴衆としっかり向き合うということが講演での最重要点だということを改めて気づかせてくれる。良い講義の条件なんて、アメリカでも、やっぱりそうは変わらない。実に楽しい授業。

    またこの人の英語はとても格調高く、語彙の良い勉強になる。

    - unequivocally   明白な
    - suffice      十分な
    - take you through the data          このデータの説明をすると 
    - a potential caveat for the interpretation  この解釈に関してやや注意が必要な点は

    などなど、この辺りの英語を少なくとも生物系のセミナーで私はこれまで聞いたことは無い気がする。(これまで耳に入っていなかっただけという噂もあり…)。知らなかった表現などを書き留めておいて、後で用法を調べるのが、英語で授業を受ける一つの楽しみになってきた。

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