『
<草思社>民事再生法を申請 中堅出版社、ヒット作も多く』 毎日.jp
なんとも残念なニュース。。。
いろいろ語りたいことはあるけれど、これに伴って、やや急いで文章を一つ紹介。
このニュースに先立って、昨年末に草思社のウェブマガジン「Web草思」が休刊するというアナウンスがあった。「Web草思」サイトの中の一つの連載として、高島俊男さんという中国文学者による日本語エッセイ『お言葉ですが…』が連載されていたのだけれど、これも今後どうなるか分からない。この連載はこれまで半年近くにわたって休筆中であったこともあり、執筆者に加えて出版社の事情を考えると今後についてはあまり明るくなれないところ。
いずれにせよ、その『お言葉ですが…』の一つの文章が今回取り上げたいものです。
第2回 雑話二則(2">第2回 雑話二則(2)『選ばなかった道』
この文章の中に、皇后が読んだというある一つの歌を取り上げて枕とし、高島さんが自らの半生を振り返った一節がある。それは私の胸を強く打つものだった。まず下に一部引用:
わたしの岐路は何度もあった。心を苦しめてやまぬのは、片方を選んでいれば家族と家庭をもつことができた岐路である。
どこに住んでいるか、それは無論わからない。しかしわかされの道のさきでわたしは、書斎にいる。おなじ家のなかに家族がいる。そのわたしに、現実のわたしの人生をつねに支配してきた臨時感はない。わたしの気持はあかるく、わたしは自分のあゆんできた道に満足している。現実のわたしは、毎日、この想像にさいなまれている。縁もゆかりもない皇后に、わたしは、自分を見た思いがしたのだった。
後悔を自分の中で認め、ましてそれを人に話すという行為はおそらく現代では一つのタブーとしてあるように思う。また「後悔のないように今を精一杯生きよう」といった言葉はスローガンとしては有効だと思うし、私自身も日々そう思って生きている。でも、そもそも後悔なんて感情がなかったかのごとく、自分の人生を肯定することが半ば強制されるようにも感じられる昨今の風潮に、息が詰まりそうになるのも私にとっては正直なところなのである。
そりゃ誰だって後悔なんてしたくない。けれど、後悔のないように、そのときどきを精一杯生きたから、あとから振り返ってみたら、思わぬところで思わぬものを失ってしまっていた、または手に入れることができずにきた、なんてことはまたごく自然な成り行きとしてありうると思う。
そんなとき、人は何を思うのだろう。ここにあって湧きあがる感情をさして、高島俊男ははっきりと「悔い」と呼んだ。ここまで正直に、同時におそろしいほど抑制された筆致で淡々と述べた『選ばなかった道』に、一読ののち、私は言葉を失った。
この文章は何か別な話題のときに引き付けて取り上げてみたかったのだけれど、今となっては悠長なことは言っていられない。もうすぐリンクが切れてしまうことも考えられるので、よかったら読んでみてください。この文章を目にしたときの強烈な読後感を私は今でも忘れることができません。
念のために一言。高島さんにとっての具体的な例が「家族」なのであって、ここで述べられたことはもっと一般的に読者に投げかけるものがあるのではないかと私は思う。
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そして草思社はこのような書き手に機会を与える仕事をしてきたのである。今回の民事再生法の申請に際して、様々な批判も目にしてきた。おそらくその一つ一つは的をえたものもきっと多いのだろうとも思う。けれど、私は経営のことに関してはほとんど不明であるけれど、一読者として日本の多くの出版社は、言ってしまえば、よくもまあ金にならなそうな本をよく出してくれていると思う。
たとえばアメリカには再販制度が存在しないのだけれど、それでも学術出版の充実ぶりは論をまたない。私の印象では、アメリカでは「大学出版局」などが強い力をもっており、たとえば今回取り上げた『お言葉ですが…』のような少しでも評論めいた本は多くこのようなところから出版されている。
たとえば手元にあるものだと、
"Kindly Inquisitors" (邦訳題『表現の自由を脅すもの』)
"The Structure of Scientific Revolutions"(邦訳題『科学革命の構造』)
に関して、いずれもThe University of Chicago Pressが刊行している。
この辺り、もう少し調べていきたい。
2008/01/14 15:11 | ナッシュヴィル/日常 | コメント(2) | トラックバック(0)
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